米沢の郷土料理レシピ集

かてもの

 代表的な乾物

 米沢では昔から野菜や山野草を干して食べる習慣があります。この習慣は今から250年前のある出来事から生まれたものでした。

 天明3年、天候不順による凶作で米の作柄は例年の4分の1となり、領民は飢餓の危険性にさらされます。米沢藩9代藩主上杉鷹山は、藩内の蔵すべてを開いて米をはじめとする穀物を領民に配給しました。この政策により米沢藩は天明の大飢饉において、一人の餓死者も出さずにすんだものの藩財政は破綻状態に陥ってしまします。

 この経験をもとに藩政の中心にいた重臣莅戸善政は、日頃から代用食となる動植物の調査、研究が必要と、藩の侍医矢尾板栄雪らに食用となる動植物の研究を命じました。そして、自ら飢餓救済の手引書を執筆。その内容は「いろは」順に、草木果実80種類の特徴と調理法について、また、食料の保存法や味噌の製造法、魚や肉の調理法について詳しく書かれています。

 執筆から2年後の享和2年、鷹山の命により「かてもの」(粮物・主食である穀物とともに炊き合わせ、食糧不足に陥った際に主食を節約するための代用食となる食物)と命名され、藩内に1,575冊配布されました。

「かてもの」は、今でも米沢の郷土料理に色濃く反映されています。